
「お父さんが、がんで死んじゃった」
約30年前、小学2年生だったある朝、足立麻梨子さん(40)は、泣きながら帰ってきた母親にそう告げられた。
トイレへ駆け込んだ。がんだったことを知らなかった。混乱、悲しい、不安……気持ちはぐちゃぐちゃなのに、涙は出てこない。
「お姉ちゃんやお母さんは泣いているのに泣けない私は変なの……」。
40代の父が大腸がんだったことを知らなかった。今でこそ、がん患者の子どもに対するサポートがあるが、当時はなく、病状すら聞かされていなかった。
「家族の輪」に自分はいなかった。役に立てなかった。最期のお別れすらできなかった。
「自分にだけ教えてもらえなかった。それは愛されていなかったからかも……」
そんな思いをいつも抱いていた。
家族を支えたかったという思いと、祖父が入院した際に目の当たりにした看護の実情も重なって、看護大学に入学し、看護師を目指した。
大学で学ぶ中で、がんをはじめとする病気の苦痛を和らげ、終末期のみとりも担う「緩和ケア」にひかれた。
実習では緩和ケア病棟の運営を支援する遺族ボランティアと関わり、心を癒やしながら活動していることを聞いた。自分自身の過去の痛みと向き合いながら、今度こそ、がん患者と家族を支えられるのでは、と思った。
看護師になって、いくつかの科を経た後、2016年に南生協病院(名古屋市緑区)の緩和ケア病棟に配属された。がんの痛みを和らげることを専門とする「がん性疼痛(とうつう)看護認定看護師」やカウンセリングの勉強をした。
結婚式で知った父の思い
医療従事者として、がん患者とその家族を支える。より強く、思える出来事があった。
それは20年2月、自身の結…