デモクラシーと戦争 インタビュー編⑧ 浅野富美枝さん
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戦時中、多くの女性団体が何らかのかたちで戦争に協力した。浅野富美枝・元宮城学院女子大教授(家族社会学)は、女性たちの戦争協力の活動と、地震や台風など災害時の活動との連続性を指摘する。
――関東大震災での女性たちによる被災者支援について、本にまとめました。
「災害時の被災者支援についてジェンダーの視点から研究する中で、1923年の関東大震災で女性団体が大きな力を発揮したことを知りました。たとえば子どもたちへの炊き出しや、無料診療所の開設などです」
――どのような団体があったのですか。
「関西の女性団体のネットワークである『全関西婦人連合会』は、大量の衣類や寝具などの慰問品を集めて関東に送りました。また、立場や信条の違う複数の団体が、乳幼児や高齢者のいる家庭にミルクを配るために集まり、『東京連合婦人会』という新しい団体もできました。これらの団体はその後、婦人参政権運動や公娼(こうしょう)制度廃止運動でも中心になっていきます」
――災害時に女性が担った活動の特徴は。
「食事や衣服を作るなど、女性が家庭の中でやっていた活動が中心です。家庭でやっていたことを外で行うことで社会で認められ、女性自身が喜びを感じ、自発的な活動が盛り上がっていったのではないかと思います」
「一方で、性別役割分業にもとづいて強制された活動もありました。『東京市の教師のうち女性だけが、10日以内に5人分の服を縫うように割り当てられた。家族をなくし仕事もある中であまりに乱暴だ』と嘆く新聞投稿がありました。現代でも、避難所での毎食の大量の調理の負担が女性にばかり重くのしかかる例はあります」
災害支援から銃後の奉仕へ それだけでなく
――震災の被災者支援の活動はいつまで続いたのでしょうか。
「まだ復興が途上だった1930年に『帝都復興祭』が開かれた頃から、社会の中で震災について語られることは減っていきます。翌年に満州事変が勃発すると、軍国主義への流れの中で、震災の被災者支援に力を尽くした女性たちも戦時体制へと取り込まれていきます」
――どのようにでしょうか。
「たとえば全関西婦人連合会…