太平洋戦争の開戦からまもなく、山口県宇部市の海底炭鉱「長生(ちょうせい)炭鉱」で水没事故が起きた。日本人と朝鮮半島出身者の計183人が死亡したが、発生直後に坑道が埋められ事故は風化。82年を経た今年、市民有志が残された遺骨を収集しようと潜水調査に乗り出した。一方、実態把握に向けた国の動きは鈍い。
宇部市沖約1キロの周防灘に、直径約3メートルの円筒形のピーヤ(排気口)2本が海中から突き出ている。1942年2月3日、この下に掘られた長生炭鉱の天井が崩れ、海水が流入。炭鉱員183人が亡くなった。
10月末、坑内に眠る遺骨収集に向けた調査のため、このピーヤや坑道につながる坑口から水中探検家の伊左治佳孝さん(36)が海中に入った。崩れていない坑道内を約200メートル進んだところで調査を終え、伊左治さんは「継続すれば、遺骨は回収できる気がする。可能性は大いにある」と報道陣に語った。11日に東京・永田町であった集会に参加し、調査の様子を報告。「こんなところに遺骨が残っているのは悲しい。返すお手伝いをしないといけない」と力を込めた。
調査を手がけるのは、市民団体「長生炭鉱の水非常(みずひじょう)を歴史に刻む会」(刻む会)。事故は、当時の炭鉱会社が発生直後に坑道を閉じたため、存在が忘れられた。
地元の郷土史研究者らの調べ…