記者コラム 「多事奏論」 編集委員・高橋純子

 月がこんなにも明るく、頼りになるということを久しく忘れていた。

 午前4時、沖縄戦最後の激戦地となった沖縄県糸満市、摩文仁(まぶに)の丘の「てっぺん」を目指し、急な階段を上がる上がる息もあがる。たどりついた「黎明之塔」には多くの報道陣らが集まっていた。

牛島満司令官と長勇参謀長をまつる「黎明之塔」=2024年6月23日午前5時14分、沖縄県糸満市摩文仁、高橋純子撮影

 まつられているのは、沖縄戦を指揮した牛島満司令官と長勇参謀長。本土防衛のための「時間稼ぎ」に沖縄をつかい、住民の犠牲を膨らませた責任者だ。

 もともとは、2人を埋葬したと思われる場所に木柱の墓標が立っていただけだったが、1950年代に元部下たちが整備したという「黎明之塔」。それを、2004年から18年間、那覇市を拠点とする陸上自衛隊第15旅団が「集団参拝」していた。制服を着て、両氏が切腹したとされる6月23日の明け方に合わせて。陸自側は「私的な参拝」と説明してきたが、一昨年と昨年の参拝は見送られた。理由ははっきりとはわからない。

 さて、今年はどうかと構えつつ、前日会った牛島司令官の孫・牛島貞満さん(70)を思い出す。集団参拝をどう思うか尋ねた時の、少し意外な答え。

 「なんというか、滑稽なんで…

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