石橋星志さん。東京大空襲の被災者らが亡くなった地点を示す地図の作成にも携わった=2月18日、東京都墨田区、田井良洋撮影

 東京大空襲から80年になる。10万人もの市民の命が一夜にして失われた首都の悲劇は、いまだ全容が明らかでない。残された記録からどこまで実相を描けるか、高齢の被災者の体験をどう伝え残して生かすのか。この課題に正面から向きあう「すみだ郷土文化資料館」(東京都墨田区)学芸員の石橋星志さん(42)に聞いた。

 米ハワイの真珠湾攻撃に始まる日米開戦から3年3カ月、日本政府は敗色が濃厚になってなお、無謀な太平洋戦争に終止符を打てずにいた。米軍の本土空襲が激しさを増すなか、1945年3月10日(土)午前0時すぎ、B29の編隊約300機が東京上空に飛来し、大量の焼夷(しょうい)弾を無差別に投下。現在の台東・墨田・江東区を中心に下町の住宅密集地は火の海になる。焼失家屋27万戸、被災者は100万人にのぼったとされる。

米軍が撮影した東京大空襲の焼け跡

 この史実を後世に伝えるべく、墨田区が運営する資料館は企画展を継続して開き、10年前に学芸員になった石橋さんは立案・調査の中心を担う。開催中の今期の展示テーマは「東京大空襲80年 新たな記録を探し続けて」。地域の写真店主が空襲直後に撮影した燃える家屋や焼け跡のパノラマ写真をはじめ、のちに「世界のホームラン王」となる当時4歳の王貞治さんら被災者15人の避難経路図も見ることができる。

 展示にあたって心がけてきたことは何か。「被災者の証言の立体化です。それぞれの体験を集約すると何が見えるか、それを裏付ける資料を探し当てて併せて示す。見る人に実感をもって正しく知ってもらうためにも、体験を支える記録の収集は欠かせません」

 その苦労と成果は、今回の展…

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