「悪は存在しない」(c)2023 NEOPA / Fictive

そんなに急いでどこへゆく~スロー再考④

 加速し続ける社会でタイパや倍速視聴がもてはやされる今だからこそ、「スロー」の価値を見つめ直したい。「スロー」とは、時間の長さはもちろん、「急がない」「はっきりさせない」「近道しない」といった「しない」ことによる現代社会へのアンチテーゼなのではないか、と。

 そこで思い浮かんだのが、ファストの対極にある映画づくりを手がけ、国際的にも高く評価される、映画監督の濱口竜介さん。

 2時間59分の「ドライブ・マイ・カー」、5時間17分の「ハッピーアワー」をはじめ、既存の時間やスタイルの枠にとらわれない作品で存在感を示している。「悪は存在しない」が公開された濱口さんに、現代社会と地続きの課題でもある、映画と映画づくりにおける「適切な時間」について聞いた。

なにかとタイパが求められるファスト社会で、「スロー」を重視する動きが相次いでいます。ときには立ち止まって、じっくり、深く……スローをめぐる価値、思考の意味を問い直すインタビューシリーズです。

 ――「スロー」の価値が見直される一方、「ファスト」や「タイパ」が社会の大きな流れとして強まっている気がします。

 私自身は「スロー」礼賛というわけではないですが、当然そうだとは思います。特に資本主義的な活動が加速していって、自然の回復能力を超えたものになって、色々な問題が起こっている、とおそらく誰もが感じている。止めないと早晩破綻(はたん)が訪れる、ということは間違いないので、相対的に社会が「スロー」になることは必要だろうと思います。

 ――米アカデミー賞の国際長編映画賞を2022年に受賞した「ドライブ・マイ・カー」が米国でも高く評価された背景として、「スローシネマ」への注目があるのでは、との指摘がありました。

 その定義は曖昧(あいまい)で、物語上何も起きていないような時間が長く続くものが「スローシネマ」としてくくられているのだと思います。実際にスローシネマ的な潮流はあるし、そういう文脈で自作が評価されている部分もあるのかもしれない。けれど、ハリウッド映画に比べて次々ものごとが起こらないという、あくまで相対的な印象ではないかと。実は色々起きていますよ、というのが自分の受け止め方です。

 集中力をもって見さえすれば、速い映画も遅い映画も存在しません。現代社会の問題点というものをもし挙げるとしたら、そうやって何かに集中したり注意をしたりしながら、芸術作品や、目の前の現実と向き合う体験が非常に少なくなっていることではないでしょうか。

できるようになるまで時間をかけないと

 ――短編集から長尺まで、枠にはまらない作品が印象的ですが、映画の「時間」についてどう意識していますか。

 物語に最適な時間があるだけ…

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