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篠田謙一さんはDNA分析用の骨を各地の博物館でもらったり、現場で発掘したりして手に入れる。その情報も、手前に写る愛用の野帳「科博フィールドノート」に書き込んできた。「DNA分析の分野では、骨をすぐに入手できる人脈を持つ人があまりいない」と語る=東京都台東区の国立科学博物館、横関一浩撮影
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 日本人は、どこから来たのか。この大きな問いに答えを与えてくれそうなのが、古代人の骨から取り出したDNAだ。国立科学博物館の館長・篠田謙一さん(69)は国内の先駆的な存在で、「新たな理論をつくりだしているところです」と言う。研究は、発掘現場で状況を書き込んだノートとともに歩んできたと語った。

原因は食べ物か、生活習慣か、遺伝か

 写真の手前に並んでいるのは国立科学博物館限定の野帳「科博フィールドノート」。屋外で活動する研究者などが使います。机がなくても書きやすいように表紙が硬く、大きさもぴったり。私は日本人の起源を研究しているので、古代遺跡の地図や発掘現場の状況などを記録します。学生時代にコクヨ製を使い始めました。指導教員と同じ品を持つと、いっぱしの研究者になれたようで、うれしかったです。

 古代人の研究は、骨を対象にします。私は当初、血管や神経が通る穴の数といった形態から、その人の特徴を調べました。とはいえ形態を変える原因は食べ物か、生活習慣か、遺伝か。確実にわかることは少なかった。

 新しい手法に切り替えたのが1980年代の終盤。同級生が米国留学から帰ってきて、向こうでは「古代の骨からDNAを採る」と教えてくれました。DNAを増幅する技術が発明され、微量でも分析できるといいます。DNAは遺伝情報なので、古代人と現代人との違いなどは明確にわかります。縄文時代の人骨をある程度持っていたので、2人で挑戦してみようと。最初のうちは、あるのは興味だけで道具は手づくりに近く、方法も暗中模索でしたが。

 2006年にDNAの大量の情報を高速に解読する新しい装置が実用化。私たちの研究成果も、細かい数値で語れるようになりました。たとえば沖縄県石垣市の遺跡から出土した約2万7千年前、旧石器時代の人骨。次の時代の縄文人は、DNA全体のうち6割がこの石垣の人と同じでした。残り4割はロシア沿海州などの北方から来たとされます。石垣など南の人と北の人が日本列島で出会い、縄文人ができたらしいのです。

 現代日本の本州人は、縄文人のDNAが1~2割で、アジア大陸から来た人たちが8割ほど。体内には、少なくとも日本列島の3万年近い歴史が入っているのです。詳しくは科博で3月15日に始まる特別展「古代DNA」で紹介します。

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