「禁酒」の文字が刻まれた石碑=2024年9月17日、石川県津幡町上河合、樫村伸哉撮影

 住民みんなで酒を断ち、小学校の改築費を工面しよう。空前絶後の試みは約100年前、健やかに結実した。

 富山県境に近い石川県津幡町の河合谷地区。「禁酒」と刻まれた石碑が今も残るが、もう学校はない。ノスタルジーを感じながら、山あいの里を歩いた。

 地区の中心部にある河合谷ふれあいセンターの一角に、石碑は立つ。高さ85センチ、幅30センチ。敷地内にある他の石碑と比べると驚くほど小さいが、力強い「禁酒」の文字が目に飛び込んでくる。

手前中央が「禁酒」の碑。背後は河合谷ふれあいセンター=2024年9月18日、石川県津幡町上河合、樫村伸哉撮影

 1926(大正15)年1月、旧・河合谷村は頭を悩ませていた。老朽化した河合谷小学校の改築費4万5215円を村民1576人にどう負担してもらうか。現在は4千万円を超える首相の年収が1万2千円ほどだった時代だ。

 「どうすれば村民の苦痛を減らせるか」。村幹部らが話し合い、「4月から5年間の禁酒」を決めた。全298世帯に「飲んだつもり」で毎日5銭以上を貯金してもらう。村内で酒を「売らない」「あげない」「出さない」の規約を決め、村の入り口に「禁酒」の碑を立てた。8軒あった酒屋は廃業した。「津幡町史」などはそう伝える。

 北海道の読者から託された寄付金44円が東京朝日新聞社(当時)から現金書留で村役場に届くなど、「教育の村」への反響は全国に広がった。「津幡町史」に当時の村長の回想文がある。「学童に与えられた感化、村民の受けた感激がいかに大きく強くあったか」

 禁酒を始めて3カ月後の7月…

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