ヤクルト・村上宗隆

(15日 プロ野球 東京ヤクルトスワローズ2―0広島東洋カープ)

 王手をかけてから35打席目。苦しんでいたヤクルトの村上宗隆が八回、松山・坊っちゃんスタジアムの右中間席へ通算200号本塁打を運んだ。1年目の秋季キャンプで鍛えた地での記念アーチに「松山は僕の原点。そういう場所で打ててうれしい」。同球場では4本目の本塁打となった。

  • 忘れてはいけない日から8年 ヤクルト・村上が54打席目の第1号

 「三冠王を狙うのは当たり前のことだと思う。(2度目に)挑戦できるのは僕だけなんで。そこにトライできるのは幸せなのかなと思います」。そう言って臨んだ今季だったが、開幕から調子に乗れず、第1号はプロ7年目で最も遅い54打席目だった。しかも、その時の打順は2番。「人生初」の打順に「しっかり自分の打席をおくるだけ」と語ったが、内心はどうだったか。

 今月上旬には自己最多タイの3試合連続本塁打を放つなど量産体制に入るかと思われたが、その後バットが湿った。前日まで本塁打どころか4試合連続で安打も出ない。コーチからは「相手投手としっかり勝負できていない」と指摘されることもあり、巻き返すべく松山入りしてから連日の早出特打ちに取り組んだ。7試合の足踏みに「打てる時ばかりじゃねーぞ。僕のこと何だと思っているんだと」と苦しかった胸の内をもらした。

 変化を恐れない24歳だ。

 開幕当初は、踏み出す右足の上げ方をやや小さくしてノーステップに近い感覚のフォームに取り組んでいた。結果が出なかったので、昨年までの形に戻した。最近も打席の途中で、グリップの位置を下げるなど、細かい変化、修正を重ねている。「バッティングに完璧はないですからね」

 試合前に必ずティー打撃の球出しをする杉村繁打撃コーチは言う。「ムネ(村上)が変化を恐れない理由ははっきりしているんです。いい成績を長く続けたいから。そのために自分を追い込んで、もっと、もっといい打ち方があるって研究していく」

 2022年、前年に39本塁打したにもかかわらず、練習方法を変え、バットを変えた。「こっちもびっくりですよ。それでいいのって」と杉村コーチは振り返る。変化の先に三冠王があった。

 プロ1年目の18年9月、神宮でのデビュー初打席初本塁打という快挙を遂げて以来730試合目。日本選手としては山川穂高(697試合)、田淵幸一、秋山幸二(ともに714試合)に続く少ない試合での到達となった。清原和博を上回る史上最年少での大台にも「ピンと来てませんけれど、まだまだ通過点なのでもっともっと打てるよう頑張りたい」。将来は大リーグへの挑戦も口にする。希代の“アーチスト”村上の前には、無限の可能性が広がっている。(堀川貴弘)

写真・図版
200号本塁打達成時の年齢

共有