地震で傷ついた能登半島を襲った豪雨から28日で1週間が経った。復興に向け踏み出していた人たちは、二重の被災に心をくじかれ、住まいや暮らしの再建に、さらに時間がかかるおそれも出てきた。

床上浸水した仮設住宅。扉の半分近くの高さまで水が達している=2024年9月21日、石川県輪島市宅田町、上田真由美撮影

 「どこにいたら安全なんだろう」。川から土砂が流れ込み、床上浸水した石川県輪島市門前町浦上の仮設住宅。菜畑(なばたけ)隆司さん(75)は掃除する手を止め、空を仰いだ。

 元日の地震で自宅は全壊。1月下旬に金沢市のみなし仮設のアパートへ移ったものの、身近に話し相手がおらず、趣味の畑仕事ができない暮らしにふさぎ込む妻の信子さん(64)の姿を見て、地元の浦上に戻り、8月に仮設住宅に入居したばかりだった。

 そこを豪雨が襲った。

 隆司さんは「窓からひどい雨を見て、『逃げる用意せなあかんぞ』と言った時には、もう水があふれていた。数十分の出来事だった」と振り返る。2人は濁流のなか、ずぶぬれになりながら、少し高い場所にある近所の家に逃げ込んだ。

 自室のある棟は床下浸水で済んだが、「女房が『門前におると、ほっとする』って言って。なのにね」と涙を流す。

 自宅の再建はあきらめ、災害公営住宅の建設を待っているものの、いつ、どこに建てられるかはまだ決まっていない。「先のことを考えると不安ばかりだ」と嘆く。

片付けられた泥を前に話す菜畑隆司さん=2024年9月26日、輪島市門前町浦上、土井良典撮影

 床上浸水した輪島市宅田町の仮設住宅で暮らしていた狭間三子雄(みねお)さん(85)はいま、約2キロ離れた小学校の体育館で避難生活を送る。

 自宅が全壊したため、しばらく金沢市のみなし仮設のアパートで暮らし、7月下旬に仮設住宅に入った。寝転んだままテレビを見られるように大きなベッドを買ったが、水につかってしまった。

 杖をつき、ゆっくりしか歩けないため、3軒隣の部屋に住んでいた家族の車に同乗して避難。近くの市立輪島病院のロビーで2泊した。

 避難所の体育館には約50個の段ボールベッドがびっしりと並び、浸水した仮設住宅や自宅から避難してきた人たちが過ごす。おにぎりやパンが出され、運営を担うスタッフが体調を気遣ってくれるものの、「昼は暑くても扇風機もないし、夜は寒くて、上着を何枚も着せてもらってようやく寝られた」と言う。

 この先、どこでどうやって暮らすのか、いまはまだ見通せない。「しゃあねぇや。なるようにしか、ならないからね」と淡々と語った。

 今回の豪雨で、輪島市と珠洲市の仮設住宅6カ所で計209戸が床上浸水の被害を受けた。27日時点で能登町を加えた3市町の27カ所の避難所で計456人が過ごしている。(土井良典、上田真由美)

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