護憲勢力のリーダー的存在で、女性初の衆院議長や社会党委員長を務めた故・土井たか子さんが残した資料が、出身校の京都女子大学(京都市東山区)に寄託された。日々の予定や心情を記した議員手帳やノート、海外の要人と撮影した写真などで、専門家は女性政治家としての歩みや社会党の歴史をひもとく「第一級の資料」と注目する。
土井さんは1928年、神戸市の開業医の家に生まれた。京都女子専門学校(現・京都女子大)や同志社大大学院などで学び、同志社大講師に。1969年に旧衆院兵庫2区に日本社会党から立候補し、初当選して以降、36年間にわたり議席を守り、日本社会党の顔として活躍した。国籍法をはじめ男女差別解消に取り組んだほか、消費税導入やリクルート事件が争点となった89年参院選で女性候補を多数擁立して「マドンナ旋風」を巻き起こした。
今回寄託された資料は、土井さんが2005年まで議員生活を送った議員会館(東京・永田町)の部屋にあった品々。議員手帳やアルバムのほか、ノート、直筆の色紙、ビデオテープなど約3千点で、段ボール22箱分に及ぶ。秘書を長年務めた五島昌子さん(86)が東京都の自宅などで保管してきたが、引き取り先を探すなかで、今年6月に京都女子大に寄託された。
議員手帳からは、土井さんの政治家としての姿が見えてくる。
1970年代の議員手帳には、土井さんが議員になった初期、公害問題に取り組んだ活動が記されている。市街地に隣接し、旅客機の騒音や排ガスなどが問題視された大阪(伊丹)空港、大阪湾の環境問題などをめぐり、自身の選挙区内を飛び回った姿が垣間見える。
新島襄の一節も
「ハプニング解散」があった…