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ずらりと並んだ軒丸瓦や軒平瓦。時代を経るごとに様々な型式が現れる=2024年9月6日午後2時51分、鳥取県倉吉市仲ノ町の倉吉博物館、奥平真也撮影
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 来春開館予定の鳥取県立美術館のすぐ南に広がる国史跡に指定されている古代寺院跡「大御堂(おおみどう)廃寺跡」(鳥取県倉吉市駄経寺町)。その出土品などを紹介する展覧会「大御堂廃寺 仏教の華ひらく はじまりの寺」が、同市仲ノ町の倉吉博物館で開かれている。約120点の資料が並び、これだけの数を一堂に展示するのは初めてという。

 大御堂廃寺跡は、推定で東西約135メートル、南北約165メートル以上に広がる。7世紀中ごろ(飛鳥時代)の創建と考えられ、平安時代初期ごろまで存続していたと推定される。出土した墨書土器から、当時は「久米寺」という寺院名だったとみられる。

 江戸期の地誌にも廃寺跡についての記載がある。戦後、紡績会社の工場が建ったが、工場閉鎖に伴い、1996年から本格的な発掘調査が断続的に実施された。

 金堂や塔の配置から、福岡県太宰府市の「観世音寺」式と考えられ、地域の有力者や国の権力者が仏教布教の拠点として建てたと推定できるという。「大御堂」は現在の小字名だ。

 今回の展示では、ずらりと並んだ軒丸瓦(のきまるがわら)や軒平瓦(のきひらがわら)が目を引く。7世紀から8世紀にかけて、寺の整備・拡充、補修を進めるにつれ瓦の形式が変化していく様子が分かる。

 「全身像鬼瓦」は、鬼の全身を表現した瓦。都以外の地方の遺跡では他に出土例がないという。長さ26センチの「銅製匙(さじ)」は、奈良・正倉院に収められているものと同形で、朝鮮半島の新羅から伝わったと考えられる。

 仏像の頭部の螺髪(らほつ)(巻いた毛髪)と、それの型も展示。型は国内で2例だけ確認されているという。

 担当学芸員の田辺歩さん(33)は「見ていただきたい品はすべて出している。他の寺院との関係を示す品もあり、ぜひ足を運んで」と来館を呼びかけている。

 10月14日まで。月曜(祝日の場合は翌日)休館。料金は一般600円、70歳以上400円、大学・高校生300円。問い合わせは同館(0858・22・4409)へ。(奥平真也)

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