かつての岩瀬仁紀氏(50)を知る人は、異口同音に言う。
「まさか、あそこまでになるとは……」
投打で高いレベルにはいるが、野球選手として、果たしてどこまで伸びるのか。岩瀬氏は、その道に詳しい関係者にとっても「判断の難しい選手」だった。
野球殿堂博物館(東京都文京区)は16日、今年の野球殿堂入りを発表し、競技者表彰のプレーヤー部門はイチロー氏(51)と岩瀬仁紀氏(50)が選ばれた。
32年前、西尾東高出身の岩瀬氏は愛知大に入学した。当時監督だった桜井智章さん(67)は、野手として起用することに決めた。長打も打てる、その打撃力を買った。
「投げ方は悪くなかったので、投手としては、体力がつけば『ひょっとしたら』とは思っていた。ただ、その前に、打者として大きく成長してしまった」と笑う。
思い出すのは、岩瀬氏が3年の時に見せた変化だ。
全日本大学選抜に選ばれた岩瀬氏が、チームに戻ってくると「投手をやらせてほしい」と申し出てきたという。選抜チームのメンバーには、のちに巨人入りする高橋由伸(慶大)ら強打者がいた。
「こういう選手たちが野手としてプロに行くんだ、と感じたんでしょうね。もちろん、投手をやることをすぐに認めました」
岩瀬氏は投手と野手を兼務しながら、安打を重ねていった。
4年の秋には、愛工大時代の神野純一(のちに中日)が打ち立てた、当時のリーグ記録の通算125安打を更新するかに見えた。
だが、通算安打は124本でストップした。
投打のどちらを選ぶのか本人…