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現場へ! 記者が見たヒロシマ①

 巨大な火の玉がピカッと光り、虹のような波紋が真っ青な空へ広がるのが見えた。「なんじゃろか」。その直後、耳をつんざく爆発音と爆風が襲いかかった――。

 1945年8月6日の朝。米軍の爆撃機エノラ・ゲイから1発の原子爆弾リトルボーイが広島市の中心街に投下され、炸裂(さくれつ)する瞬間だった。

 そこから北東へ6・5キロ。当時17歳の山田精三(せいそう)は、とっさにカメラを向けてシャッターを切った。炸裂の約2分後、原子雲を地上から最も早くとらえたとされる、このモノクロームの1枚が「世紀の記録写真」となった。

 山田は旧制中学の夜間に通いながら、のちに記者となる中国新聞でアルバイトの「ボーヤ」として働いていた。8月6日の月曜日は休みをとり、広島県府中町の家からほど近い渓谷・水分峡(みくまりきょう)へ友人と飯盒炊爨(はんごうすいさん)に出かけた。原爆に遭ったのは、松林の中を歩いている最中だった。

 原子雲の記憶は、96歳になる今も色つきで脳裏に焼きつく。「どす黒い朱色のような赤。見たこともない鮮やかで強烈な色だった」。シャッターは何度か切ったが、雲がどんどん大きくなり、ファインダーに収まりきらなくなったという。

 それから79年。欧州や中東…

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