練習でノックをする南宇和高校野球部監督の水林義尚さん=2024年10月11日、愛媛県愛南町御荘平城、中川壮撮影

 大阪府警の警察官を定年退職後に教員免許を取り、65歳で愛媛県立高校の講師となった男性がいる。南宇和高校の野球部監督、水林義尚(よしひさ)さん(67)。「逃げるな。そして最後まで諦めるな」と生徒たちに伝えている。

 ――教員への道のりは

 中学の時に良い先生に巡り合い、その人が日体大やったんです。その時から「日体大に行って体育の先生になるんや」とずっと思っていました。日体大に合格し、母校出身の先輩に誘われ、レスリング部に入部しました。その後、4年の時に大阪府の教員採用試験に失敗しました。

 「既卒より現役の方が通りやすいらしいぞ」という友達の言うことを真に受けて、卒業せずに1年間のつもりで留年しました。ところが、採用試験の勉強どころかアルバイトに明け暮れ、結局だらだらと8年行ってしまいました。卒業はできたんですけど、教職必修科目が1科目修得できず教員免許は取得できませんでした。

 卒業後に聴講生として取れなかった単位を修得すれば教員免許は取得できたのですが、当時の教員採用試験の年齢制限は30歳くらいやったと思うんです。せやから、講師をしながら採用試験を受けるにしても3回ほどしかチャンスはなく、自業自得とはいえ仕方なく教師は諦めました。

 そんな時、父から「警察官受けてみい」と言われ、親孝行のつもりで受験し、27歳で大阪府警に入りました。警察官採用試験の受験年齢は当時、27歳までだったんです。せやから合格して警察学校に入った時は自分が一番年が上でした。

 警察官時代は、体育会系の性格が合ったのか、交番、パトカー、駐在勤務などを経験でき、最後は警部補という現場監督のような立場で仕事をして、大変有意義な警察人生でした。

 38歳の時、もう一度教員免許を取得してみようと、署長の許可を得て京都教育大へ1年間通いました。卒業から10年余り経過していたので、新たに7科目の修得が必要でした。交番で24時間働いた後、眠たい目をこすりながら大学に通っていました。しかし、私の認識不足でまた1科目足りませんでした。もう完全に諦めました。

「今でしょ!」

 ――その後は

 60歳で定年退職した後、大…

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