明治時代に誕生し、長年親しまれてきた神戸人形。一時は途切れかけた伝統を復活させた人形作家・吉田太郎さんが今年2月、54歳の若さで亡くなった。「神戸人形を残したい」。その遺志をいま、妻の守津綾さん(56)が受け継いでいる。
六甲山を望む神戸市東灘区の静かな住宅地に、神戸人形を制作する「ウズモリ屋」はある。
綾さんはつなぎを着て丁寧に木を削り、一体一体、神戸人形を作っていく。「クスッと笑える、おもしろがれるところが魅力なんです」
神戸人形は、つまみを回すと様々な動きをする、糸仕掛けのからくり人形だ。
目玉や舌が少し飛び出たユーモラスな表情が特徴で、木魚をたたいたりスイカを切ったりといった動きをする。
日本玩具博物館(兵庫県姫路市)によると、明治中期に誕生したとされるが、成り立ちや創始者ははっきりしない。
黒色の人形が多いのは日本の名産品である漆器にあやかったためとみられ、外国人観光客向けのお土産として人気に。昭和天皇へ献上されたこともあったという。
だが、太平洋戦争で作り手が疎開。1950年ごろに制作が途絶えた。
その後、新たな作り手や玩具店が制作を始めるが、作り手の死去や阪神・淡路大震災後の閉店が相次いだ。同博物館による復元制作も、2014年に途切れていた。
■きっかけは綾さんのひとこと
そんな状況を知り、立ち上が…