年収は上がって欲しいけど私はもう働けない…“働き損”を生む「壁」 | NHK | News Up

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「ボーナスは受け取れません」
「時給を上げてもらえるのはありがたいのですが…」

長引くコロナ禍に物価高。にもかかわらず、年収を思うように上げられない。

キーワードは“働き損”でした。

(ネットワーク報道部 野田麻里子 高杉北斗 杉本宙矢)


もう少し働きたいけれど…

「いくら頑張ってもパートだし“上限”は決まっているし、自惚れではなくなんて言うか自分の能力をもて余している感じがして…」

千葉県に住む39歳の女性はサラリーマンの夫と中学生と小学生の子どもの4人暮らしです。

家計の足しにしようと、3年前からパートタイムで飲食店に勤め、今では社員のサポート的な役割も担っているといいます。

仕事ぶりを評価され、現在1100円の時給を上げるという話も。

そこに、立ちふさがったのは「年収の壁」でした。

女性はこれまで夫の扶養内で世帯収入をできる限り減らさないように、100万円を目安に、勤務時間を調整して働いていました。

扶養を外れて働く場合、税金や社会保険の費用が引かれるため、今の倍以上の時間働かざるを得なくなるので、2人の子どもの世話を考えると難しいと考えています。

女性
「時給を上げてもらえるのはありがたかったですが、子どものこともありますし、私の勤務時間が減るとお店やほかの従業員の負担が増えてしまう。仕事は好きですが、自分がやっていることに対して収入が見合っていないような、むなしい気持ちになりました」

ボーナスも「受け取れません」

「コロナ禍で一生懸命働いてくれたスタッフたちにボーナスで報いようとしてもできないんです」

そう話すのは神戸市にある病院の副院長です。

新型コロナの感染拡大で病院のスタッフたちには急きょ勤務に入ってもらったり、長時間勤務をお願いしたりしていたそうです。

その頑張りにせめて数万円のボーナスで報いようと提案したしたとき、“壁”が立ちはだかりました。スタッフから「“上限”があるので受け取れません」と言われたのです。

物価高騰で生活が苦しいという悲痛な声も聞かれ、ジレンマがあるといいます。

神戸市の病院の副院長
「給与をクーポンやギフト券で支給するわけにもいかず、ポケットマネーで買ったちょっとした差し入れをするぐらいで、経営側として歯がゆい気持ちです」

そもそも「年収の壁」とは?

サラリーマンの夫がいてパートタイムで働く女性たちにとっては、年収が100万円を超えて増えるにつれ、夫の扶養から外れ、税金や社会保険料の支払いが発生する基準があります。夫と妻の立場が逆の場合も同様です。

この基準を超えて年収を増やそうとすると、一時的に目先の世帯収入が減少するため“働き損”だと感じられるとして「年収の壁」と呼ばれています。

代表的なものとしては、所得税が課税され始める「103万の壁」や、勤め先などの条件によって社会保険料の支払いが生じる「106万円の壁」などがあります。

また、企業によっては配偶者の年収が「103万円」や「130万円」を超えると「家族手当」が支払われなくなるためこちらも“壁”となっています。

“損”しないなら働きたい女性たち

コロナ禍や物価高を背景にした最新のデータからも、“壁”を意識した働き方が広がっていることが見えてきました。

民間の研究機関「野村総合研究所」はことし9月、配偶者がいてパートタイムやアルバイトとして働いている全国の20歳から69歳の女性3000人あまりを対象にインターネットを通じて調査を行いました。

その結果、このうち61.9%の人が自分の年収を一定金額に抑えるため、就業時間や日数を調整する「就業調整」しており、このうち8割近くにのぼる78.8%の人が「『年収の壁』を超えても“働き損”にならないなら、今よりも年収が多くなるよう働きたい」と回答しました。

調査では、女性たちは計算違いによる“働き損”を防ごうと、実際には「103万円」以下に抑える人が6割以上で、“実質的な心理的な壁がある”と指摘されています。

実際どれぐらい“損”する?

条件は住んでいる地域や勤めている会社の規模によって異なります。

野村総合研究所が条件を設定して、次のような試算をしました。

[条件]
●二人世帯(他に扶養者なし)
●夫の年収 500万円(家族手当含まず)
●税金や保険料が引かれる
●妻はパートタイムで働く
●妻の年収が…
・100万円超で住民税がかかる
・103万円超で月額1万7000円の会社の「家族手当」支給停止
・106万円超で社会保険加入

妻の年収が100万円のときは世帯の手取り額が「513万円」ですが、妻の年収が106万円に上がると社会保険料などの支払いが増え、手取り額は「489万円」に減ってしまうのです。この差額の「24万円」がいわば“働き損”です。

「年収の壁」を超えて手取りを増やすには、妻は年収の4割増しにあたる138万円以上になるまで働かないといけないということです。

どうしてこうなった?

「専業主婦が外で働く夫を支える家族モデルをベースに設計された制度ですが、共働きが主流になる中、制度が時代に追いついていません」

こう指摘するのは、野村総合研究所で調査を行ったエキスパート研究員の武田佳奈さんです。

「年収の壁」の1つ、サラリーマンの妻の年金保険料を免除する制度は1985年(昭和60年)に始まり、武田さんによると、当初は女性たちが社会保険から漏れずに年金を受け取る権利を確保するために設けられたといいます。

しかし、今や共働き世帯がそうした専業主婦のいる世帯の2倍以上となっていて、武田さんは家族のモデルが変わってきていることに制度が追い付いていないと指摘します。

経営側も悩んでいる…

こうした制度がコロナからの復調を目指す経済への足かせになっている。そう訴える経営者の声もあります。

こちらの北海道帯広市のビジネスホテル。

3年ぶりに行動制限のなかったことしの夏以降に需要が回復。客室の9割以上が埋まる状態が続いているため、清掃担当の従業員およそ20人が総出で対応しているといいます。

しかし、このうち5人が11月時点ですでに「年収の壁」を超過しそうで勤務時間を調整しているといい、別の従業員にカバーをお願いしている状況だということです。

帯広天然温泉ふく井ホテル 林佑太社長
「『人が足りないから働いて』と言うわけにはいきません。近隣のホテルも人手不足で、解消しようと求人を出しても集まりづらいと言っていて、自分たちだけの問題ではないと感じています」

少子高齢化の影響で“労働力不足”が深刻化してくる中で最低賃金が上がっても、今の「年収の壁」の制度設計では年収が上昇しないだけでなく、働ける時間だけが少なくなっていくと武田さんは指摘しています。

野村総合研究所 武田さん
「例えば、パートで働いている人が年収100万円で抑える場合、1993年では1か月で約88時間働いていたのが、2021年では時給が上がり66時間となっています。労働力の確保という点でも“働き損”の解消は大きな課題です」

国の議論はどうなっている?

「年収の壁」に関わる税や社会保険については、国レベルでも検討が進められてきました。

このうち、配偶者の所得税の減額(配偶者控除)がなくなる基準であった「103万の壁」では、その年収を超えても一斉に世帯収入が減らないように制度が見直されました。

一方、これとは別に「106万円」から社会保険料の支払い負担が生じる可能性があります。そのため、結果的に“100万円前後の「心理的な壁」は今も残っている”と指摘されていて、中長期的な視点での議論が続いています。

これについて厚生労働省に聞くと、

厚生労働省
「社会保険料は損をするというわけではなく、支払いは将来的な年金への積み立てや医療保険の充実につながります。長期的な社会保障として理解促進に努めたいです」

そうはいっても短期的には…

直近の物価高騰や新型コロナの影響といった厳しい経済状況では、目先の“働き損”を避けたいはず。

野村総合研究所の武田さんたちは、働く意欲のある労働者がためらわずに自ら収入を上げられるように政府が支援することを訴えています。

具体的には、社会保険料の支払いによる手取り額の減少を補うため、短時間労働者が就労時間を延ばした場合には事業者に助成金などを出す方法が考えられるといいます。

武田さん
「経済が拡大成長していく時代は終わると、1人ひとりが不安を強めていきやすく、国や企業への信頼も低下しがちです。「年収の壁」などの制度や慣習をアップデートしながら不安を解消しやすい仕組みを探っていく必要があると思います。就労が難しいケースも考慮しながら、働く意欲と能力ある人が“一生懸命働けば報われる”と思える社会を目指して知恵を結集していくときだと思います」

【取材後記】

今回の取材の中で「年収の壁」のずっと手前、年収50万円ほどで働くパートタイムの女性にも話を聞くことができました。

理由を尋ねると、夫が出張などで忙しく、小・中・高校生の3人の子どもの世話をいわゆる“ワンオペ“状態でしながらでは、とても時間は増やせないということでした。

世帯年収では1000万円を超えますが、このため「所得制限」によって子育て支援策は受けにくく、倹約しても子ども3人の教育費を捻出できるか不安だといいます。

「子育ては“罰”なんでしょうか…」

そんな言葉が印象に残りました。

“働き損”や「年収の壁」から見えてきたもう1つの問題。

引き続き取材していきたいと思います。

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