哲学の道のアスファルト部分。ところどころ穴が開き、「ここで足をひねった」と話す住民もいた=2024年12月26日午前10時36分、京都市左京区、武井風花撮影

 西田幾多郎ら京都の哲学者が思索をめぐらせながら歩いたと伝わる「哲学の道」(京都市左京区)。この道の舗装を進めるべきだという意見があり、管理する京都市が議論を進めている。「哲学の道」にふさわしい「姿」とは何なのか、現場を歩きながら考えた。

 昨年12月下旬、銀閣寺の参道と交差する「銀閣寺橋」から歩き始めた。ここから南端の「若王子橋」までの約1・5キロが、今回の議論の対象だ。

 真ん中に川が流れている。1890年ごろにつくられた琵琶湖疏水(そすい)分線だ。もとは管理用の道路だったが散策路として人気を博し、昭和後期に京都市が遊歩道として整備した。

 川沿いには約400本の桜の木が植えられている。1921年に日本画家の橋本関雪が市へ約300本を寄贈し、植えられたのが始まりだ。春には桜のトンネルの中を大勢の観光客が歩く。初夏には蛍や珍しいチョウが舞うという。

 歩き始めたとき、足元は茶色のアスファルトだった。ところどころ穴が開いている。「以前、ここで足をひねった。夜は暗いから見えなくて」。通りがかりの住人の男性が話した。

 500メートルほど歩くと砂利道に変わった。記者と一緒の方向から歩いてきた観光客の女性は「こっちの方が風情がありますね」。終わりかけた紅葉を眺め、西田幾多郎はこんな風景を見ていたのかな、と考えながら歩いた。

 哲学の道のうち約600メートルは、すでにアスファルトの舗装がされている。85年ごろと96年ごろに工事が進められた。しかし住民の反対にあって工事は中断。残りは砂利道で残されている。

 今回議論になっているのは…

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