赤城孝子さん=2024年5月10日、福岡市博多区、山本壮一郎撮影

 夕暮れ、福岡市・中洲の川沿いには、おなじみの風景がある。

 バイクなどで引っ張られてくる、木の箱のような大きな物体。おのおのが決められた場所に着くと、木の箱は広げられ、組み立てられていく。従業員らは、周りにイスを並べ、食材を中に運んでくる。

 福岡の代名詞ともいえる「屋台」だ。

 福岡市内には現在、約100軒の屋台が、中洲地区や天神地区、長浜地区で営業している。

 豚骨ラーメン屋もあれば、おでんなどの店もある。

 ただ、それぞれの屋台をよく見ると、同じ形をしているものが多い。

 それもそのはず。ほとんどは、作った人が同じだからだ。

屋台に取り付けた金具の寸法を測る赤城孝子さん=2024年5月10日、福岡市博多区、山本壮一郎撮影

 製作者は、屋台職人の赤城孝子さん(83)。店主らから「姉さんに頼んでおけば間違いない」と絶大な信頼を得ている。

夫が倒れ「自分がやるしかない」 あみだした独自製法

 26歳で同じ熊本県天草市出身の夫・光則さんと結婚し、福岡に移り住んだ。子ども2人を幼稚園に預け、光則さんが立ち上げた建具店に立ち寄ると、工具が散らかったままだ。片付けないと気が済まなかった。

 赤城さんの父は大工だった…

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