アングル:ミャンマー政変から2年、平穏失い苦闘する4人の物語 | ロイター

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[31日 ロイター] – ミャンマー国軍が国家顧問兼外相だった民主派指導者、アウンサンスーチー氏を拘束して政権を転覆させたクーデターから2月1日でちょうど2年となる。

 ミャンマー国軍が国家顧問兼外相だった民主派指導者、アウンサンスーチー氏を拘束して政権を転覆させたクーデターから2月1日でちょうど2年となる。写真は、民主派武装組織の一員として戦闘に参加したエイチャンさん。非公開の場所で、1月27日撮影(2023年 ロイター)

クーデターによって多くの国民は、平穏だった生活をすっかり台無しにされた。米国の紛争監視団体によると、軍政に対する抗議行動の弾圧で昨年亡くなった人は約1万9000人に上る。国軍の戦争犯罪や人権侵害を糾弾している国連の調べでは、約120万人が住んでいた場所を追われ、7万人超が祖国を離れた。

国軍は「テロリスト」への正当な作戦を実行しているだけだと主張し続けているが、ロイターからのコメント要請には回答していない。

国連特使は先週、ミャンマーが危機に陥っていると改めて警告。以下の4人の物語は、そうした危機が国民全体にいかに「壊滅的な打撃」をもたらしたかを如実に示している。

<民主派兵士>

民主派武装組織の一員として戦闘に参加したエイチャンさん(21)は昨年のある日、爆発に続いて立て続けに銃声を耳にした。結局、片足に重傷を負ったこの場面についてエイチャンさんはロイターに、とっさには「自分が撃たれたかどうか分からなかった」と語った。

立ち上がろうとした彼の足は言うことを聞かず、戦友の1人が彼を病院まで運んだ後、次に気がついた時にはひざから下が切断されていたという。

以前は工場で即席麺の製造に従事していたエイチャンさんは、クーデター後に民主化を要求する街頭デモの群衆に加わり、抗議グループらが武装すると自身も兵士になった。

初めて最前線に足を踏み入れた際には、心臓の動悸(どうき)が止まらなかったが「周りの戦友たちを見渡すと彼らは笑っていて、怖さがなくなった」と振り返る。

武装組織は士気こそ高かったものの、国軍の優秀な装備に圧倒された。エイチャンさんは「彼らは狙撃を止めず、私たちは頭を上げることさえできなかった。私たちは弾丸を節約する必要もある」と苦境ぶりを説明した。

現在、エイチャンさんはほとんどの日を眠ったり、料理をしたり、友人らと食べ物を分け合ったりして過ごしている。それでもエイチャンさんに武装闘争に参加したことへの後悔はなく、体が十分に回復すればまた戦場に戻る決意だ。

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<元外交官>

アウンソーモー氏(52)はクーデター発生時、駐日ミャンマー大使館で一等書記官を務めていた。それから1カ月後、彼は他の何千人もの公務員とともに、軍政の妨害を意図する「市民不服従運動(CDM)」に合流した。

妻と娘は、新型コロナウイルスのパンデミックを受けてミャンマー国内にとどまっていたが、同氏が反軍政の声を上げるのを応援し、その後にタイへ越境。ただ、正式な渡航書類を持っていないため、身動きができない状況にある。同氏は2019年以降、家族と会っていない。

東京に残った同氏は、大使館内の広い住宅を退去せざるを得なくなり、収入もゼロになった。在日ミャンマー人たちからの金銭的な援助で生活費を賄い、窮屈なアパートを借りて生活する毎日だ。

日本政府はアンソーモー氏の外交官ビザ(査証)を延長し、引き続き東京に滞在できる措置を講じたものの、そのビザの期限は今年7月まで。日本の外務省は、その後の同氏の処遇に関してコメントを拒否した。

同氏はロイターに「とても苦しいが、何よりもひどい事態はミャンマー国民の未来を失うことだ」と気丈に話した。

今は、民主派がクーデター後に立ち上げた国民統一政府(NUG)のためにソーシャルメディアで1週間に2-3日ごとに進んで情報を発信している。

心配なのは、特にウクライナの戦争以降に世界がミャンマーを忘れてしまうこと。「しかし、われわれは決してあきらめはしない」という。

<元ミス・ミャンマー>

モデルのハンレイさん(23)は、タイで開催されていた国際的なミスコンテストの舞台に立とうとしていた矢先に、クーデターが発生した。そこで彼女は、コンテストの場を使ってミャンマーの現状を世界に伝えようと決意。その前夜は、興奮や不安のため眠れなかったと明かした。

当日は涙をこらえつつ、国軍の暴力を非難すると、その映像は世界中に拡散された。折しもこの日、ミャンマー国内では抗議デモ参加者140人以上が死亡した。

国軍から反乱扇動の罪で訴追され、タイに滞在していた彼女は昨年、いったんベトナムに出国した後にタイに再入国しようとしたところ、バンコクの空港で数日間拘束され、ソーシャルメディアを通じてミャンマーに送還しないでほしいと訴えた。

彼女は最終的にカナダに向けて出発し、現在はオンタリオ州ロンドンで以前に亡命していたミャンマー人家族と暮らしている。この家族は、1988年の民主化運動に対する国軍の弾圧から逃れてきた。

何とか今の生活になじもうとしている彼女だが「私はミャンマーで生まれ、家族も友人も自分の未来も、全てがそこにある。彼らにはもう会えないかもしれず、毎日恋しくて仕方がない」と胸の内を漏らした。

<元教師>

昨年ミャンマーを脱出し、同国との国境に近いタイの町で生活している元中学校教師の女性も、CDMに参加した1人。「CDMに加われば私の人生が厳しくなるのは承知していたが、(軍政に)反旗を翻さなければ、私たちの未来が閉じられてしまう」と言い切る。

緑と白にデザインされた教師の制服でデモを行った彼女は、国軍による取り締まりから逃れるため祖国を離れた。

もっともタイにいる多くのミャンマー難民と同じく彼女も正式な渡航書類は持たず、拘留を恐れる暮らしが続く。編み籠や裁縫による稼ぎも週に10ドル足らずで、NUGからの食料支援が頼りだ。

ただ、彼女は「最後までCDMのメンバーであり続ける。人間は楽しい時とつらい時の両方を経験しなければならない」と前を向く。

緑と白の制服は、ミャンマー国内の安全な場所にきちんとしまってある。いつか教師に戻れる日のために――。

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