5月に引退を表明した将棋の中座(ちゅうざ)真(まこと)八段(54)が19日、現役最終対局に臨んだ。東京・将棋会館で指された第37期竜王戦(読売新聞社主催)ランキング戦4組で戦ったのは野月浩貴(ひろたか)八段(50)。ともに北海道出身で、10代から棋士養成機関「奨励会」で切磋琢磨(せっさたくま)した二人。中座八段は革新戦法「横歩取り△8五飛」を創案した棋士として知られ、野月八段は同戦法を発展させた存在でもある。出会いから38年、両者による最後の棋譜が紡がれた。

 青年は泣いているわけじゃない。

 顔を腕で覆っているが、絶望しているわけでもない。

 ずっと追い求めてきた達成と幸福の中にいる。

1996年3月、奨励会三段リーグ最終日で自らの逆転昇段を伝え聞き、廊下にうずくまる中座真三段=「週刊将棋」96年3月13日号掲載、マイナビ出版提供

 突然知った現実の重さを肉体が支えきれず、崩れ落ちたのだ。

 1996年3月7日午後、東京・将棋会館4階。

 棋士養成機関「奨励会」第18回三段リーグ最終日。

 年齢制限の26歳に達していた青年は、最後と決めていた闘争の場で前節まで11勝5敗と昇段争いに加わっていた。

 午前中の対局に勝利する。もうひとつ勝てば四段(棋士資格)昇段が決まる戦況を手繰り寄せたが、人生を分けた最終戦は残酷な戦いになった。

 何もすることができず敗勢に陥ったが、1手詰めまで指し続けた。

 北海道稚内市から上京し、11歳で奨励会に入ってから15年。

 20歳で三段に上がってから6年。

 中座真にとって、最後の一局になった。

 幼い頃から追い続けた棋士になる夢は断たれ、これからは新しい道での戦いを始めなくてはならなくなった。

 ……はずだった。

 昇段を争っていた3人の三段が最終戦でいずれも敗れる、という信じ難い事態が起きた。

 失意の中、夢への切符が転がり込んできたことを突然伝え聞いた。

 廊下の壁にもたれかかり、座り込み、身動きを取ることができなくなった。

 流転する運命の明暗と奨励会の過酷さを活写し、専門紙「週刊将棋」に掲載された写真は話題となり、今もなお語り継がれている。

 あの瞬間について、かつて中座が語ってくれたことがある。

 「とにかく気が動転して座り込んでしまったんです。写真のことは今でも皆さんに言われます。子供から『お父さん、泣いてるの?』って言われて『座り込んじゃっただけだから』って否定して」

 あの瞬間、10メートルも離れていない場所にあるベンチにうずくまり、ボロボロと泣き続ける三段がいた。

 昇段を逸した野月浩貴だった。

泣き続けた後輩の記憶

 あの朝の時点で、僕は2連勝すれば自力昇段でした。でも、2局ともふがいない将棋を指して負けて……もう、ぼうぜん自失で。昇段を逃した後、幹事に勝敗を報告しにいったら、幹事の中村修先生(現九段)に手紙を見せられたんです。僕が小学生の時、札幌で修先生に指導対局で教わって、その時に出した礼状の返信を持ってきてくれて。「本当は上がった時に見せようと思ったんだけど、次も頑張ってほしいから。逃しても上がった人はたくさんいるから」って。上がってないのに……と思いながら、修先生の優しさがうれしくて、もう涙が止まらなくて、涙しか出てこなくて。

 そんな時、青ざめた顔で中座…

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