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家族につらい顔は見せず、料理上手で野菜を庭で育て天ぷらにすることも=日本リウマチ友の会提供

 公益社団法人「日本リウマチ友の会」前会長の長谷川三枝子(はせがわみえこ)さんが2024年10月10日、肺がんのため、亡くなりました。83歳でした。新しい薬の登場で治療環境が大きく変わる時代に、会長として患者の実情を訴え続けました。

 兄を入れると4人きょうだいの末っ子。でも「3姉妹の一番下だから名前に三が入ったの」と、語っていた。

 大学生だった21歳のとき、膝(ひざ)に激痛が走った。肩にも広がり、関節リウマチと診断された。免疫の異常で関節を包む膜に炎症が起こり、やがて関節が壊れて変形、日常生活に支障が出ることがある。当時は痛みをやわらげたり、炎症を軽減したりする薬しかなく、病状が進み、手術で両膝に人工関節を入れた。

 患者団体の日本リウマチ友の会に出合い、1978年に入会した。99年、会長(当時は理事長)に就き、四半世紀近く務めた。

 大切にしていた活動の一つが、77年から発行する「リウマチ白書」だった。5年に1度、発症した年齢や現在の症状、治療や生活上の苦労などを会員にアンケートする。厚生労働省の専門家会議では、白書を示して大勢の患者の声を伝えるなど奔走した。

 99年、免疫を抑制する作用があるメトトレキサートが関節リウマチの治療薬として承認された。03年以降、関節の崩壊を抑制する効果がより高い「生物学的製剤」が次々と承認され、寛解が期待できる患者が増えた。

 ただ、生物学的製剤は高額だ。「使いたいが高額で使えない」という患者がいることを白書で紹介し、経済的な支援の必要性を訴え続けた。

 「ニコニコおだやかな人でした。でも、しっかりとした信念を持っていた」と、会長を継いだ門永登志栄(かどながとしえ)さん(67)。「だれもが、どこに住んでいても、同じ医療を受けられるように」と、最後まで気にかけていたという。

 リウマチを機に俳句に出合い、句を通した交友関係も。亡くなった日、自宅の机の上に、句が残されていた。

 秋の空 さようならの声 はるかなる

◇3月1日に「偲ぶ会」

 日本リウマチ友の会の有志が発起人となった「長谷川前会長を偲(しの)ぶ会」が3月1日14:00~16:00、東京都千代田区内神田3の6の2のアーバンネット神田カンファレンスで営まれます。会費1万円。参加希望者は2月19日までに申し込む。詳しくは、友の会のホームページ(https://www.nrat.or.jp/)へ。

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