植民地主義の肯定にあたるなどとして批判が集まり、「コロンブス」という曲のミュージックビデオ(MV)が公開停止になりました。
なぜコロンブスをめぐる表現が問題をはらむのか。コロンブス以後の「500年」と先住民運動について研究する、慶応大学専任講師の藤田護さんに聞きました。
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――人気バンドの曲「コロンブス」のMVが批判を浴びました。
「歴史や人文学といった素養の問題をあえて指摘するまでもなく、誰がどう見てもアウトなものが、どうして通ってしまったのかと思いました。今後の教訓とすることも大事ですが、なぜ止められなかったのかを関係するエンターテーメント業界で考えることが第一に必要だと思っています」
――そもそも何が問題なのですか。
「日本ではコロンブス(スペイン語ではコロン)をいまだに『新大陸発見の偉人』とする見方が残っていますが、米州の先住民にとっては、コロンブスは『苦しみの始まり』を意味します」
「コロンブスがカリブ海の島に到達して以降、キリスト教世界から来た白人たちは、先住民を侵略して虐殺弾圧し、支配してきました。欧米ではコロンブスを『偉人』や『英雄』とする見方は現代まで根強くありますが、そうした歴史に対する問い直しが広く認識されたのは1992年前後、コロンブスによる1492年の『新大陸発見』から500年のことでした」
――どのような動きがあったのでしょうか。
「当初は、500年に向けた祝福ムードが広がっていました。しかしラテンアメリカの様々な先住民運動や先住民指導者たちが、デモや声明発表など、さまざまな形で異議申し立てをしたのです。日本などでは、驚きをもって受け止められました。なかでも、ラテンアメリカに関わる研究者の清水透さんや編集者・評論家の太田昌国さんは、その課題を真正面から受け止めてきました」
続いている「苦しみの500年」
「実は、先住民の『苦しみの500年』はまだ続いています。2019年は、現在のメキシコにあったアステカがスペイン人のコルテスに征服された1519年から500年でした。この時も、メキシコのロペスオブラドール大統領は、スペインに対し植民地支配について公式謝罪を要求しましたが、スペイン政府は拒否しています」
「また、南米アンデスにあったインカの皇帝アタワルパがスペイン人征服者ピサロに捕らわれた1532年から500年は、今から8年後です。現在も、ラテンアメリカからの歴史の問いかけは続いているのです」
飾られたバファローの角
――歴史を、白人を中心とする支配者の視点だけでなく、支配された側、植民地やマイノリティーの視点からも捉えると、まったく違う景色が見えてきますね。
「アカデミズムの世界では今…