国立原子力センターの案内で訪れた核実験場跡地。実験に使われた鉄塔などが今も残る=2024年9月6日、カザフスタン、山田尚弘さん撮影、中国新聞社提供

 旧ソ連が核実験を繰り返したカザフスタンを、ジャーナリストの小山美砂さん(29)らが9月に訪れた。原爆投下直後の広島で降った「黒い雨」の取材を続ける小山さんが現地で目にした、いまなお続く核の被害とは。

 「現在進行形の核の被害について本当に間近に感じた」。9月29日、小山さんは現地に同行した中国新聞の写真記者、山田尚弘さん(40)と広島市内で報告会に臨んだ。

 小山さんは元毎日新聞記者。広島支局に2017年から5年勤務し、23年にフリーになった。現在は広島を拠点に活動する。

 旧ソ連は1949年、構成国の一つだったカザフスタンのセミパラチンスク核実験場で初めての核実験を行った。以来、89年まで450回を超える核実験を続けた。今回、小山さんらは9月1~11日の日程で、実験場跡や周辺の村などを訪れた。

 村の住民は貧血や骨の痛み、頭痛などの体の不調を訴えた。がんで亡くなる人も目立ったという。一方で政府からの支援は不十分といい、「カザフスタン政府は国際的に核被害をアピールするが、国内の被害者は放置している」という訴えを多く聞いたという。リハビリ施設にトレーニング器具がないなど不十分な医療体制も説明した。

 小山さんは「前進はしているが、本当に良いケアというものはすごく遠いと感じた」と話した。

 また、被害者援助に向けた新たな法律の制定を求めるNGO「ポリゴン21」の設立など新しい動きがあることを紹介。小山さんは「核実験場での作業に従事した元軍人から、証明資料をロシアから取得する必要があるが、ものすごくハードルが高いと聞いた」と話した。

「日本の被爆者と連携したい」

 1970年にセミパラチンスク市(現・セメイ市)で生まれた女性、ドクジャン・ムンバイエワさんのインタビュー映像も流された。ドクジャンさんは「実験の時はランプや窓が揺れていつも地震のような感じだった。小さい頃から皮膚病を患っていた」と話した。

 子どもの頃には、2歳のときに広島で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの話を知ったという。

 「広島や長崎の人はかわいそうだと思っていたが、実は自分たちも核の被害を受けていた。秘密にされていたので知らなかった」と涙を流し、こう続けた。「原爆を生み出した戦争は恐ろしい。人類が原爆で絶滅しないよう、日本の被爆者と連携して頑張らないといけない」

 報告会で山田さんは、自身の撮った写真をスクリーンに映しながら、「取材を通して広島という都市がいかに世界から注目されているかと感じた。広島の平和に対する姿勢が非常に問われていると思った」と語った。

 カザフスタンでの取材や報告会は「核禁条約をすすめるヒロシマ・カザフスタン実行委員会」が企画した。

 カザフスタンは、来年3月に米・ニューヨークで開かれる核兵器禁止条約第3回締約国会議で議長国を務める。この会議へ向けて核廃絶や核被害者への支援の機運を高めようと、市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」、「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)と小山さんの3者で、8月に実行委が設立された。

 報告会は10月5日にも東京で開き、今後も各地で開く予定だ。(柳川迅)

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