奈良県明日香村の西橘遺跡から出土していた飛鳥時代後半(7世紀後半)のものとみられる大量の木簡について、村教育委員会と奈良文化財研究所(奈文研)が約30年ぶりに再調査し、その詳細が明らかになった。海産物や獣肉、野菜、漢方薬など幅広い内容が記され、「八雲評」などの未確認の地名が記された木簡も含まれていた。

 奈文研の山本崇・歴史史料研究室長(日本古代史)が8日、奈良市であった木簡学会で発表した。木簡の使用は天武天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の時代から律令制度の導入とともに藤原京、平城京にかけて本格化したとみられ、その律令国家誕生直前の史料として注目される。

 西橘遺跡は「聖徳太子の誕生地」とされる橘寺境内の西に位置し、東西約300メートル、南北約250メートルの範囲に広がる丘陵と谷で構成された飛鳥~平安時代の遺跡だ。飛鳥時代には天皇の住まいなど都の中枢部にあたる「飛鳥宮跡」にも近い地域だった。

新たな知見も

 村教委が1992~93年に…

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