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家族写真のアルバムを開く吉田章枝さん=2024年12月19日、広島市東区、矢代正晶撮影
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聞きたかったこと 広島

 朝7時前、16歳だった吉田章枝(ふみえ)さん(95)=広島市東区=は勤労動員先の工場に向かうため、広島市二葉の里(現・東区)の自宅を出た。

 「気をつけて行ってきなさい」。いつもはまだ寝ているはずの父が、この日はなぜか玄関まで見送ってくれた。父の顔を見ながら「行ってきます」と返事をした。

 当時、章枝さんは比治山高女(現・比治山女子中高)の4年生。両親と19歳の姉、7歳の妹の5人家族だった。動員先の中国配電大州製作所(現・中国電機製造、南区)で、配電盤の部品作りをしていた。

 作業を始めてまもなく、ピカッと強烈な光が目に飛び込んできた。机の下に伏せると、土壁やガラスの破片が降りかかってくる。混乱の中、なんとか防空壕(ごう)に走り込んだ。

 その後、引率の先生や友人と工場を出て自宅方面へ歩き出した。広島駅前は火災が激しくて通れず、北へ遠回りして夕方、ようやく自宅近くの饒津(にぎつ)神社まで戻った。

 境内で母を見つけ、駆け寄って抱き合った。家は全壊して、母ははい出したが、妹の姿が見えない。仕事に出かけた父も姉も戻っていなかった。

 被爆から2日後、消防団に自…

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