週刊少年ジャンプ(集英社)で連載された芥見下々(あくたみげげ)さんによる漫画「呪術廻戦」の最終巻が発売された。主人公たちの最大の敵で「呪いの王」と称された宿儺(すくな)のモチーフは、岐阜県の飛驒地方を中心に伝承が残る異形の人物としての「宿儺」だ。
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奈良時代の720年に成立したとされる日本書紀には「飛驒国に一人の人がおり、宿儺といった。一つの胴体に二つの顔があった。顔は互いに反対を向いていた。それぞれに手足があった。力は強く敏捷であった」(小学館「新編日本古典文学全集 日本書紀②」より抜粋)とあり、朝廷に服従せず、人民を略奪して楽しんでいたため、討伐されたという。
キャラクター作りの際、こうした日本書紀の記述も参考にしたと、「呪術廻戦」作者の芥見さんは連載していたジャンプ誌上で語っていた。
一方、岐阜県高山市などの地域では、寺院の開祖として伝わるなど、信仰の対象にもなっており、様々な宿儺像が残る。
千光寺(岐阜県高山市丹生川町)の石像は日本の鎧兜を身に着けおり、同じく丹生川町にある善久寺の像は中国風の装束をまとっている。
東北大学大学院の長岡龍作教授(日本美術史)は、他の仏像との類似点を指摘する。
「例えば善久寺の像は、胸の前で合わせた手に武器を持っており、建物を守る神の『韋駄天』像と似ている」
また、毘沙門天が背中を合わせて立っている「双身毘沙門天」像とも類似していると指摘し、「それらのイメージが両面宿儺の姿につながった可能性もある」。
千光寺の石像の額には、仏の眉間にあって、光を放つという長い毛「白毫(びゃくごう)」がみられ、仏と同一視されていることもうかがえる。長岡教授によると、こうした背景には、日本では仏が様々な神の姿で現れるとする「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」と呼ばれる神仏習合の思想があるという。
円空の像に見える創造性
仏像の制作は、時代が古いほど、仏像の着衣や手の構えなど造形に関する規定が厳格で、仏師個人による創作は難しかったという。だが、江戸時代ごろになると状況が変わり、例えば、円空のような在野の仏師は自身のインスピレーションを発揮して像を制作した。
千光寺には円空による宿儺像も残る。住職の大下真海さんによると、円空は寺に数年滞在し、飛驒の各地で仏像を制作したとされる。
長岡教授は「そうした時代の創造性が円空の像に見て取れる」。
飛驒に結びつく宿儺のイメージを、地域の人々はこれらの像を通じて見たのではないか、と長岡教授は言う。
「イメージは物語を補強する。伝承が伝わる地に像があることで、人々はその存在をリアルなものとして認識する」
「呪いの王」として漫画に描かれたキャラクターのイメージとは一味違う姿の宿儺は、いまも飛驒の各地で地域を見守っている。