第83期将棋名人戦・B級1組順位戦1回戦、佐藤康光九段(右)と羽生善治九段戦の感想戦=2024年6月20日、東京・千駄ケ谷の将棋会館、高津祐典撮影

メディア空間考 高津祐典

 将棋会館の記者室はからっぽだった。

 6月20日、将棋の全8タイトルを保持する藤井聡太叡王に、同い年の伊藤匠七段が挑んだ第9期叡王戦五番勝負は、2勝2敗で最終局を迎えていた。伊藤七段が勝てば八冠独占の時代が終わり、新しいタイトルホルダーが誕生する。その日、ほとんどの記者が対局のある甲府の常磐ホテルに出向いていた。

 私は東京・千駄ケ谷の将棋会館にいた。たまたま第83期名人戦B級1組順位戦の開幕日と重なり、佐藤康光九段―羽生善治九段戦が指されている。

 数年前ならニュースを優先して、B級1組順位戦の取材は断念していたはずだけれど、いまは違う。叡王戦の取材は同僚に頼み、私はからっぽの将棋会館の記者室で中継用パソコンを広げた。対局室にカメラ、配信機器もセット。デスクとして叡王戦の動画を編集したりしながら、順位戦の対局を中継した。

 叡王戦は藤井叡王が優位に立っていた。このまま防衛すれば八冠独占は継続する。大きなニュースはお預けかもしれないとぼんやりABEMAの中継を眺めていた。するとフリーの将棋ライターが記者室にやってきた。佐藤―羽生戦を見に来たのだという。

 「同世代で最初に羽生さんからタイトルを取ったのが康光さん。同じ日に対局があるのは運命的だと思って」

 なるほど、と思った。もし伊藤七段が勝てば、佐藤―羽生戦の現場にいる意味はより大きいものになる。将棋の歴史に重ね合わせて、佐藤九段に話を聞いてみたい。

 叡王戦は終盤を迎えていた。伊藤七段の粘りが実り、形勢は逆転する。藤井叡王は太ももをたたいて悔やむ。伊藤七段は揺るがない。勝利をたぐり寄せ、藤井叡王からタイトルを奪う。ABEMAの視聴数は数百万回にもなっている。

 私はその場にいない。数年前ならいなかったはずの佐藤―羽生戦の現場にいる。

 順位戦の終局後、対局に敗れた佐藤九段に声を掛けると、ベンチに座って取材に応じてくれた。

 「タイトル戦を重ねるという…

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