現場へ! 記者が見たヒロシマ④

 75年は草木も生えぬ――。

 広島原爆の投下直後、原爆開発にかかわった米科学者のそんな言説が、現地紙の報道をきっかけに流布された。

 それを打ち消すかのように約1カ月後、焦土の街に芽吹く植物を撮り歩いた記者がいる。朝日新聞大阪本社写真部の松尾英世(当時28)。現存する写真30枚以上の紙焼きの裏に説明書きが残り、撮影時のまなざしが浮かぶ。

 爆心地の2キロ圏内は焼き尽くされていた。沿道の木々もなぎ倒され、松尾は破壊のすさまじさを目の当たりにする。軍都・廣島を象徴する爆心至近の西練兵場は「荒涼たるもので、一カ月を経過した現在でも、わずかに雑草が生えているのみである」。

 そこから北へ少し歩いた先のイモ畑で緑の葉を見つける。「この辺まで来ると相当イモも元気である」。さらに東へ離れた広島駅前では、先端が折れた街路樹の幹から「新しい葉が出ていた」。

 トウモロコシが道端のあちこちで葉を伸ばす様子も撮った。暑さに強いシュロやバショウは「他の樹木より、よく芽を出している模様」とする観察記も残している。

 これほど植物に焦点をあてた…

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