笑い合うタカアンドトシのタカ(左)とトシ=2025年2月5日午後2時10分、札幌市中央区北1条西1丁目、鈴木優香撮影

 顔をしかめずにはいられない苦い記憶がある。

 1995年6月。高校卒業後のデビューわずか2カ月で、タカアンドトシは笑いの殿堂「なんばグランド花月」(大阪市)の舞台に立っていた。与えられた持ち時間は10分。一つの笑いも起こらない。

 「なに、この子ら」「標準語やしもうええて」

 そんな声が聞こえてくるようだった。「あのトラウマ以降、大阪が怖くなった。怖くなくなったのは、ほんと去年くらい」とタカ(48)は振り返る。

 「道産子芸人第一号」として北海道から送られた。札幌に帰っても「いろは」を教えてくれる先輩はいない。地元テレビ局のディレクターたちも、芸人の扱い方がわからなかった。

 札幌市の中学校の同級生。タカが転校生だったトシ(48)に声をかけたのが始まりだ。「トシが寂しそうにしていたから声かけたら、しゃべるしゃべる」と懐かしむ。

30年前、寄席で漫才をする北海道出身の芸人はいなかった。いまや全国区の道産子芸人が続々とうまれている。「お笑い不毛の地」はいかにして、芸人の供給地になったのか。3回連載で考える。第3回は開拓者タカトシの軌跡とこの先の夢――。

 2人は芸人を目指す。だが…

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