十年に一度の猛暑。記録が残るなかで最大の降水量。そんな表現を、天気予報やニュースで聞くことが増えた。気候が不安定になっていることを私たちはすでに体で感じている。その秘密を解き明かすカギが、福井県の湖にあるという。研究を主導する古気候学の権威、中川毅さんに、現地で話を聞いた。
「奇跡の湖」と呼ばれる理由
〈日本海に臨む福井県美浜町と若狭町に、五つの湖が集まる名勝、三方五湖(みかたごこ)はある。その一つ、水月湖のほとりに来ている。穏やかにたゆたう湖面を眺めつつ、話を聞く〉
――「奇跡の湖」と呼ばれているそうですね。いったい何が奇跡なのですか。
「この湖には1年に1枚ずつ薄く堆積(たいせき)する縞(しま)模様の泥が45メートル以上の厚さで存在しています。これを『年縞(ねんこう)』と言います」
「堆積物が湖底に乱れずに沈殿するには、いくつもの条件が必要です。洪水で大量の土砂を運ぶ川が直接流れ込んでいない。水深が深いため底部に酸素がなく、生き物が泥をかき混ぜない。湖底が沈降を続け、堆積物で埋まることがない……。そんな偶然が重なった結果、7万年以上の年縞がこの湖に残されたのです」
――1年ごとの泥の層が、なぜそんなに貴重なのですか。
「年ごとの縞々(しましま)を数えるという極めて単純な方法で、時間を精密に計れるからです。水月湖の年縞で、数万年前の出来事が世界で最も高精度に分かる。通常、岩石の中には数百年から数万年分の時間が混ざっていますが、年縞があれば1年ごとの時間を切り分けることができます。人間にとって切実な時間感覚で当時の状況を分析できる。人間の営みの時間に、地質学がつながりました。たいへんなブレークスルーだと思います」
「その完全に連続した年縞の採取に2006年に成功し、12年に世界で使われる年代の世界標準のものさし(IntCal)に採用されました。地質学におけるメートル原器のような存在です」
――湖底の泥に、そこまでの価値があるとは驚きです。
「1990年代、まだ年縞研究が確立していなかったころに、水月湖から採取された年縞を5年かけて全部数え上げた先輩研究者がいました。当時の技術的な限界から誤差が生じ、惜しくも国際標準として採用されることはなかった。それを引き継いで、英政府からもらった限られた研究予算で掘ろうとした時、長崎県のボーリング会社が利益度外視で作業を請け負ってくれました。そうして採取された年縞を、今度は各国の研究者と共同で綿密に1年1年数え上げ……。多くの人間が限られた人生の時間を費やし、年縞が人々の目に触れるようになったのです」
〈車で10分ほどの場所にある『年縞博物館』に移動した。展示室には、湖底からボーリングで掘削した年縞の縦スライスが年代順に展示されている。手前が現在。45メートル先が7万年前である〉
薄いグレーの層は台風の跡 鬼界カルデラの壊滅的噴火の痕跡も
「1番新しいのは2017年で、縞模様の暗いところが夏です。薄いグレー色の層がありますが、これは13年の秋に上陸した台風18号の跡ですね。濁り水が隣の湖から流入し、雪のように静かに積もった。このように、新聞の記録がある近現代は、台風や洪水の記録と1日単位で正確に照合できます」
――この先の十数センチにわたって縞がない部分は何ですか?
「1586年、豊臣秀吉の時代に発生した天正の大地震による痕跡と考えられています。ここから少し歩くと弥生から古墳時代で、あとはすべて先史時代です」
「ここは約7300年前、現在の鹿児島県沖にある鬼界カルデラが噴火した際の火山灰です。九州南部の縄文文化を壊滅させた過去1万年で最大の火山災害で、もし現代に起きたら対策がほぼ意味を持たないような壊滅的噴火でした。年縞によって、気候変動や火山噴火の歴史が目に見えるのです」
――過去の噴火は火山灰で分かる、と。では、過去の気候はどうしてわかるのですか。
人間にとって大きな脅威である劇的な気候の変化
「それは年縞に花粉の化石が…