驚く様子も抵抗することもなく、男性は段ボールで作った寝床を出て、しばし立ちつくし荷物を持って立ち去った。
大阪市西成区・釜ケ崎の「象徴」と言われ、2019年に閉鎖した労働者支援施設「あいりん総合センター」で昨年12月1日、野宿者たちを退去させる強制執行があった。土地を所有する大阪府が明け渡しを求めた訴訟で、5月に野宿者側の敗訴が確定。府側が申し立て、大阪地裁が執行した。
寒空の下、退去を求められた野宿者たちはどうしたのか、強制退去は支援者たちにどう映ったのか、当事者たちに聞いた。
生活の場「予告なく排除」
執行日の朝7時、大阪府や市の職員、府警の機動隊員や作業員ら500人以上がセンター前に集まり、道路を封鎖した。野宿者を立ち退かせて囲いを設置すると、不法投棄されたゴミと一緒に、野宿者の荷物やテントをトラックへ積み込み撤去した。
野宿者の一人、堀池正次郎さん(40)は執行当日、寝ていたところに重機の音が聞こえテントを出た。数人に囲まれ立ち退きを求められたため、干していた洗濯物を慌てて片付けて数分でテントを後にしたという。
「これまで隣に住む人たちと、炊き出しをして暮らしてきたが、予告なく排除された。野宿を肯定してほしい」
毎週、センター前で野宿者らと共に調理をして食事をとる「共同炊事」活動をする佐野彰則さん(44)は、当日、堀池さんからの連絡で駆けつけた。
「年を越せると思っていた矢先に、寒空の下に放り出されてしまった」
顔見知りの野宿者たちが退去させられた様子に顔をこわばらせ、執行の様子を見つめていた。
半数が「支援相談」応じぬ理由
堀池さんはセンターを立ち退いたあと、知り合いが運営する近所の施設で寝泊まりし年を越した。佐野さんは現在も毎週月曜の夕方にセンター近くで共同炊事を続け、みそ汁がけご飯などを、毎回60~100人ほどの野宿者たちが食べているという。
当日現場には12人の野宿者の姿があった。執行日まで府や市などは、野宿者に移住と生活保護受給を勧め、当日も支援相談の場を設けたが、半数は応じずに移動していった。
支援相談に行かない理由を野宿者や支援者らに聞くと、住居を決められることや行政の自立支援に抵抗があったり、未診断の精神疾患を抱えているとみられたり、人付き合いを苦にしたりなど、様々な理由があるという。
「体の動くうちは100円でも200円でもどうにかして自分でやっていく」
そう話す野宿者は、アルミ缶を効率良く回収できるルートを知り、現金収入を得ながらテント生活をしている。「野宿なんかしてはいけない」という社会通念とは異なり、仲間や近所の住民とさえ人間関係をつくり、路上や公園で豊かに生きるすべを持つ人もいると話す。
「都市の高級化」で排除される人たち
介護福祉士の仕事の傍ら、公園を夜回りして医療ケアなど支援を必要とする野宿者をサポートしている中桐康介さん(48)は「問題は孤立した野宿者と行政の対立では解決されない」と話す。
野宿者を知り、どうしたら暮らしの場を確保できるか知りたいと自身も約5年間野宿を生活した。07年に大阪で開催された世界陸上の前には、公園整備を理由に野宿していた長居公園からの立ち退きにもあい、自身の経験から「野宿の肯定」という言葉で、野宿も生活であると社会に訴えたこともある。
中桐さんは、再開発をきっかけに家賃が高騰し、低所得の人たちが生活の場を追われるジェントリフィケーション(都市の高級化)で貧困層が排除されていると指摘する。
「野宿者は真っ先にその対象となる。野宿者だけではなく、生活保護利用者、日雇い労働者、外国人労働者らが、立場の違いをふまえながら、豊かに生きるための共通する目標を見いだすことが大切」
センターの強制執行については、西成の再開発が野宿者の排除を伴うことだったと可視化されたと感じたという。
「退去と自立支援は交換条件であってはならない。シェルター入所などで、『野宿生活からの脱却』で失われてしまう、場所や仲間との関係性などの大切なものに目を向けない限り『自立支援』にはならない」
これまで様々な野宿者に会ってきた。ドヤと路上を行き来する人や、日銭を得て仲間とテント暮らしする人。飢えて凍死した人、自死しようと公園を訪れた人もいた。
「様々な過去や事情を持ち、葛藤を引き連れながらも生きている姿が否定されることが悔しい。あなたの生を肯定するよと言いたい」