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1950年の第1回お年玉くじ付き年賀はがきの特等賞品と同じ、JUKIの足踏み式ミシン。いまも縫うことができる=東京都多摩市
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記者コラム 「多事奏論」 編集委員・伊藤裕香子

 お年玉くじ付き年賀はがきの第1回の当選番号の発表は、「戦後5年」を迎える1950年の1月にあった。

 特等の賞品は「高級ミシン」。平和を手にした庶民の憧れの機種が健在と知り、その姿を東京・多摩にあるミシンメーカー、JUKIの本社に見に行く。

 鋳物製の本体は漆のようなつややかな黒地で、鮮やかな金銀の文様は気品のあるたたずまい。ぐっと足で踏み込むペダルの重たさに合わせて滑車を通る革製のベルトが回り、針が動く。焦土から復興へ良品の生産に励んだ当時の気概が、縫いながら伝わってくる気がした。

 JUKIの前身の会社は、かつて小銃製造の軍需工場だった。敗戦直後の愛知県では、豊田喜一郎氏が軍用機のエンジンを量産した会社の再起をミシンに懸けた。車の塗装技術も生かした「トヨタミシン」は、自動車部品アイシンの祖業となる。ブラザー工業は焼け残った工場で、日本軍向けのミシンから戦争前に手がけた家庭向けの生産を取り戻した。

 建物がミシンの形というブラザーミュージアムを名古屋市に訪ね、戦後社会での活躍を聞く。衣服に事欠いた時代の家族のための服づくりの必需品、自立したい女性の内職の道具として、存在感は大きかったという。人々の装いや生計を支えつつ輸出産業の一角も担い、「戦後7年」に再び特等の賞品に選ばれる。

 その座を電気洗濯機に譲るのは「戦後11年」になる56年のこと。

 「もはや『戦後』ではない」

 あの名句が経済白書の結語に…

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