月山富田城の魅力を発信し続ける安来市立歴史資料館長の平原金造さん。後方は城跡のふもと=2024年10月31日午前11時36分、島根県安来市広瀬町、堀田浩一撮影

 島根県安来市立歴史資料館長の平原金造さん(72)は8年前、山頂に登った時の光景が忘れられない。「これならどこから敵が攻めて来ているのかがよくわかる」

 戦国大名・尼子(あまご)氏の居城だった月山富田(がっさんとだ)城跡(島根県安来市広瀬町)。長い間、木々に覆われた標高190メートルの「山」だった。2015年末から始まった市の整備事業で木が伐採され、360度のパノラマビューが望めるようになった。「あの時、難攻不落の城と言われてきた理由がよくわかった」

 旧島根県広瀬町出身。尼子氏に仕えた武将山中鹿介の武勇伝などを聞いて育った。だが月山富田城跡は山でしかなく、「関心ありませんでした」。

 母校の安来市立広瀬小学校長を最後に教員を退職後、地元の広瀬交流センター館長に就任。ガイド役として時折、城跡を登っても木々で何も見えない。「ここが頂上かね」。残念そうに話す観光客と、そそくさと山を下りるのが常だった。

 それが、木の伐採で「見える化」され、自身の見る目も変わった。「もっと城跡の魅力を伝えることが大事ではないか」。以後、様々な文献を読み、知識をつけた。敵の侵攻を阻んだ急坂の「七曲がり」、深く切り込まれた「堀切」など自然の地形を巧みに利用した城の構造を観光客に語るようになった。

 ちょうど「山城ブーム」も起きた。雑誌やテレビで「難攻不落の城」と紹介され、交通アクセスはよくないが、全国から観光客が訪れるようになった。

 いま、力を入れるのは尼子氏を題材にしたNHK大河ドラマの実現だ。今秋、「尼子十旗」と呼ばれる月山富田城の10支城がある各地の団体と連携し、「尼子氏を大河に」とチラシを作成。署名活動も続ける。「県や他市も巻き込んで盛り上げていきたい」と話す。(堀田浩一)

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 平原金造 1952年生まれ。2013年3月、島根県安来市立広瀬小学校長を最後に教員生活を終え、市広瀬交流センター館長に。19年4月から市立歴史資料館長。23年4月、「月山富田城まちづくり委員会」の初代会長に就任した。

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