写真・図版
1944年当時の海軍艦上攻撃機「天山」。九七式艦上攻撃機の後継として太平洋戦争後期から、航空母艦の主力機として使われ、マリアナ沖海戦や台湾沖航空戦などを戦ったほか、特攻機にも使われた=同盟通信社提供

 80年前の1944年10月12日から15日にかけて、空母などからなる米機動部隊を日本陸海軍航空隊が攻撃した「台湾沖航空戦」が行われました。米艦船の損害は巡洋艦2隻の大破とわずかでしたが、大本営は空母11隻撃沈・8隻撃破など計45隻を撃沈・撃破したと発表しました。防衛研究所戦史研究センターの松原治吉郎主任研究官は誇張された戦果の背景に、航空戦の戦果確認の難しさに加え、情報の軽視や戦局の悪化など、様々な要因が重なったと指摘します。

 ――堀栄三・大本営陸軍部第2部(情報)参謀は著書で、搭乗員の報告があいまいだったと指摘しています。

 航空戦には通常、戦果を確認するための航空機が、攻撃隊とは別に必要になります。しかし日本軍は攻撃隊の搭乗員が確認していました。高速で移動する戦闘中の搭乗員が戦果を確認するのは至難の業です。

 台湾沖航空戦までに多数の熟練搭乗員が戦死し、新しい搭乗員の練度が不足しているという事情もありました。戦闘には、海軍機だけでなく艦船攻撃に慣れない陸軍機も投入されました。敵の迎撃を困難にするため、荒天や夜間・薄暮時での攻撃が採用されたため、より確認が難しかったようです。

 さらに、米軍は当時、大量の戦車揚陸艦(LST)を運用していました。外観から空母と誤認した場合もあったでしょう。米軍のエセックス級空母は戦争初期に比べ、防御力や応急措置能力が上がっていました。魚雷や爆弾が命中した場所を見て、「以前に同じ攻撃をしたときは沈没した」という早合点もあったと思います。

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