元大阪府知事の太田房江参院議員=2024年9月6日、大阪市北区、滝沢美穂子撮影

「液晶のシャープ」の終わり⑤完

 シャープがテレビ向けの大型液晶パネルを生産していた堺工場を8月下旬に停止した。大阪府の熱心な誘致で、新日鉄の堺製鉄所の跡地に建設されてから約15年。かつて日本が世界を席巻した液晶パネル産業の衰退を象徴する出来事をどう見ているのか。誘致当時の大阪府知事、太田房江参院議員(73)に聞いた。

 ――全国初の女性知事として2000年から大阪府政を担いました。地盤沈下が続く大阪の経済再生が課題でした。

 「1990年代に近畿通商産業局(現近畿経済産業局)に勤務していたころ、堺の製鉄所跡地にも行きました。泥炭地の上に荒涼とした風が吹いていました。大阪も産業構造を転換しつつ、次の発展を目指すべき時期に来ていると感じたことを覚えています。48歳で府知事になったのは、衰退した経済をもり立てるのに通産省での長年の経験が生かせるのではとの思いがあったからです」

 ――当時は小泉政権下で公共工事の削減が進められ、自治体は企業誘致を争っていました。2002年にシャープが液晶工場を三重県亀山市に建てることになった決め手は、当時の北川正恭知事が用意した1社90億円の補助金でした。

 「『やられたな』と思いまし…

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