熊本県の水俣病患者団体などと伊藤信太郎環境相の懇談の場で、マイクの音が切られ、団体側の発言がさえぎられた。環境省は対応に不備があったと認め謝罪した。大妻女子大学の池田緑准教授(社会学)は「環境省だけの問題だと考えず差別的な構造に目を向けなければならない」と語る。人が帰属する集団や社会的属性によるポジショナリティー(立場性)という概念をもとに、警鐘を鳴らす。

 ――懇談でマイクの音声が切られました。

 「似たことは、以前からありました。水俣病に限らず、公害被害者の声をさえぎり、その声を聞かないということが続けられてきました。ただ、今回それをやったのは加害企業ではなく、国でした」

 「今回のニュースに接した多くの人は、なんてひどいことをするんだと思ったのではないでしょうか。そう意識する背景には、役所の論理で動く役人と、一市民である自分は違うという考えが潜んでいます。しかし、役所とあなたを切り離して考えるべきではありません」

水俣病の患者らの活動で掲げられた「怨」の旗=2024年5月28日午後2時28分、熊本県水俣市の相思社、岡田玄撮影

 「政治家も含めてですが、役所の行動は国民の『総意』に基づいて行われるものです。今回の水俣での問題を考えるなら、『被害者』対『被害者以外の日本人全員』という集団の対立が根本にあることに、まず気づくべきです」

 ――どういうことですか。

 「水俣病は有機水銀が原因物質ですが、それは、プラスチック可塑剤の中間原料であるアセトアルデヒドをつくる過程で生み出されました。そうしてつくられたプラスチックは私たちの生活のあらゆるところで使われ、生活を便利にしました。利益を得る『受益圏』は日本全体です。これに対し、水俣病という苦しみを受けた範囲『受苦圏』は、水俣などの周辺の一部にとどまりました」

 「私たちがこうして豊かな生活をしている後ろで、いろいろな場所で公害が起きました。水俣を含む公害の被害者は同じ立場に置かれていると考えられます。高度経済成長に向かう日本で起きたのが公害でした。有機水銀が排出されているのに、社会全体を豊かにすることが優先されたわけです。広く薄くですが、日本人全体が利益を得てきました。それに対する被害は水俣とその周辺に局所化され、強烈な形で出た。その他の公害も同じ構図でした。そこには『公害被害者』と『それ以外の日本人』という対立があります」

■「わたし」から切り離せない…

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