「牛若丸」の異名をとったプロ野球阪神の元遊撃手で、監督としては球団初の日本一を達成した吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日、脳梗塞(こうそく)で死去した。4日、球団が発表した。91歳だった。
- 吉田義男さんがくれた1本の電話 聖地・甲子園を愛し続けた野球人生
- 「真っ白だった甲子園」が人生の一部に 71年過ごした吉田義男さん
京都市出身。立命館大を中退して1953年、阪神に入った。身長165センチと小柄ながら走攻守三拍子そろった遊撃手で、華麗で軽快なプレーぶりから「今牛若丸」と呼ばれて人気を集めた。17年間の現役生活で通算2007試合に出場、1864安打、打率2割6分7厘。盗塁王2回、ベストナイン9回を獲得した。
阪神の監督は、75年から3年間務めた後、85年に復帰すると、21年ぶりのセ・リーグ優勝と初の日本シリーズ制覇を成し遂げた。89年から95年まで野球のフランス代表監督として国際的な競技の普及・育成にも貢献。97年から2年間、3度目となる阪神の指揮を執った。選手時代の背番号23は阪神の永久欠番。92年に野球殿堂入りした。