写真・図版
フォーラムの1日目を終え、笑顔で振り返る日本被団協の田中熙巳代表委員(中央)。左は和田征子事務局次長=2025年2月8日午後6時34分、東京都渋谷区広尾4丁目、興野優平撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 米国による広島・長崎への原爆投下から今年で80年を迎え、国内外の核問題の専門家や市民らが8、9日、東京都内で一堂に会した。3月の核兵器禁止条約第3回締約国会議を前に、核兵器廃絶に向けて熱く議論を交わした。

 渋谷区の聖心女子大であった「核兵器をなくす国際市民フォーラム」。オンラインも含め2日間で約900人が参加した。

 開会にあたり、昨年にノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳代表委員が「被爆80年の今年は日本だけでなく、世界中の人たちが『核兵器を無くさなければいけない』と運動を作り上げていく年にしてほしい」とあいさつした。

 条約に日本が署名・批准していないことに触れ、「(日本政府が条約の)締約国会議にせめてオブザーバーとしてでも出て発言をするという空気を、盛り上げていこうと企画した」と話した。

 条約をめぐっては、3月3~7日に米国・ニューヨークの国連本部で第3回締約国会議が開かれ、核被害者の救済などが議題となる。

 1966~96年、フランスによって193回の核実験が繰り返された仏領ポリネシアのヒナメラ・モーガント・クロス議員はフォーラムで、母や伯母、祖母らががんなどを患い、自身も24歳で白血病が判明したことを紹介。「血に毒が流れているように感じた」と訴えた。

 条約策定を主導したオーストリア外務省のアレクサンダー・クメント軍縮・軍備管理・不拡散局長は、核兵器を持つことで相手の攻撃を思いとどまらせる「核抑止」の考え方について、「その状態が常に保たれるという考えは賭けでしかなく、リスクが大きい」と指摘。「これらのリスクは、核保有国、核抑止力に依存する国のみならず、他のすべての国に安全保障上の深刻な懸念をもたらしている」として、核保有国を含めた対話の必要性を強調した。

 「とくに広島・長崎への原爆投下から80年となるいま、『核兵器のない世界』を目標に掲げる国はすべて対話に参加すべきだ」として、「もし国家が後ろ向きなら、市民社会が対話に参加するよう、求めていかなければならない」と話した。

 フォーラムは一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」が主催。2日間の議論は提言にまとめ、第3回締約国会議に提出するという。

 会議に合わせて渡米する日本被団協の和田征子事務局次長は「これだけ大勢が集まり、核兵器の廃絶を本当に望んでいたと伝えられる。ノーベル平和賞がゴールではないと何度も言っている通り、このフォーラムを通して新しい流れが始まった。横にも縦にもつながり、広がっていきたい」と話した。

共有