戦後日本を代表するデザイナー倉俣史朗(1934~91)は1960年代半ばから80年代、静岡で10以上の店舗の内装などを手がけた。89年に開店したバー「COMBLÉ(コンブレ)」(静岡市葵区呉服町)は当時の内装をほぼ保って営業し、倉俣のデザインした空間を体感できる数少ない場だ。市美術館では15日まで、倉俣の静岡での仕事の軌跡を、写真や図面などの資料で紹介している。
倉俣が設計したバー「コンブレ」の扉を開けると、天井から一続きの乳白色の曲面に包まれる。板ガラスの脚に支えられた黄色いカウンターの奥に、印象的な赤い壁。背もたれがアクリル製の椅子は、脚の一部が欠けた浮遊感あるデザインだ。倉俣が「東京に持って帰りたい」とつぶやいたという小空間は、いくつもの思いが合わさって生まれ、残った。
店名は、プルーストの長編小説「失われた時を求めて」に登場する町コンブレにちなんで、倉俣がつけた。オーナーバーテンダーの中山昌彦さん(61)によると、倉俣の妻が提案したという。同じ音の「満ち足りた」というフランス語と二重の意味が込められている。
倉俣は独立して間もない60年代半ばから、静岡で複数の店舗のインテリアデザインを手がけた。静岡での施工を会社で請け負い、親交の深かった故小林六雄さんが80年代の後半、倉俣に個人的に設計を依頼して生まれたのがコンブレだ。
中山さんは、小林さんとの縁…