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愛知県内で暮らす同性カップルが同じ名字になることを名古屋家裁に申し立て、変更が認められた。家裁の判断をめぐっては歓迎の声があがる。一方、家族になるための手段として名字を統一することが、同性カップルを取り巻く問題の根本解決にはならない、との指摘もある。
今回の申し立てをどう受け止めればいいのか。性的マイノリティーに関する法制度に詳しい一般社団法人fairの松岡宗嗣代表理事に話を聞いた。
1994年、名古屋市生まれ。政策や法制度を中心とした性的少数者に関する情報を発信する一般社団法人「fair」代表理事。著書に「あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?」(柏書房)など。
――名古屋家裁の判断を受けた率直な感想は。
とても画期的な判断だとは思いました。申し立てをした同性カップルが「夫婦と同様の、婚姻に準ずる関係」であると、家裁が明確に認めたことがポイントだったと思います。
一方で、手放しで喜べない、モヤモヤとした気持ちもあります。今回、2人が名字の統一を望んだ背景にあるのは、結婚は異性間でなければならず、そして結婚すれば夫婦は強制的に同じ名字にさせられる、という今の法制度。多様な家族の存在を認めないこれらの制度にこそ問題があるのに、制度から排除される当事者の側が、負担の重い「工夫」を重ねなければ安心して暮らしていけない現状に、大きな違和感を持ちます。
日常のあらゆる場面で「どういう関係?」 疑われる不安
――名字の変更は、法的に家族と認められない中での苦肉の策だ、と。
異性婚であれば名乗りさえしなくても、一緒にいるだけで夫婦だと受け止めてもらえることが多いと思います。でも、同性カップルの場合は、日常のあらゆる場面で「どういう関係だろう」と疑問を持たれることがある。そこで名字が同じであれば、たとえ、セクシュアリティーを相手に明かさなくても、家族なんだと思ってもらえる可能性が高まるという実務的なメリットがあります。
――家族としてみてもらえない状況で生じる支障には、具体的にどのようなことがありますか。
まず命に直結する問題があります。
例えば同性のパートナーが倒…