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「安政大地震すぎて九十二年今又(また)この震災に遭うて後人に遺(のこ)す言葉は『災害は忘れかけた頃やってくる』」
高知県四万十市の中心街を見下ろす為松公園には、こう刻まれた昭和南海地震の碑がひっそりと立っている。
「四国防災八十八話マップ」で取り上げられている地震や津波に関する言い伝え・体験談から学ぶことのできる教訓を、マップのイラストも交えて、連載「つなぐ教訓」として紹介します。
今回は昭和南海地震が起こした街を焼き尽くす火災についてです。
- 【マップの紹介記事はこちら】あえて「かわいい」イラストに込めた思い 国が優良認定の防災マップ
1946(昭和21)年12月21日早朝、地盤が軟弱な中村の街を、大きな揺れが襲った。
当時、女学生だった人の話が残っている。揺れ始めた直後に兄と一緒に家を飛び出し、畑の中に転がり込んで頭から布団をかぶり難を逃れたかと思ったら、「突然近くから火事が起こりました。火はみるみる広がりました。親を呼ぶ子、子を探す親、火の回りが早いため救出できずに生きながら火にまかれ焼け死んだ人など、本当にこの世の地獄でした」(四国防災八十八話から引用)。
当時から県西部の中心都市だった中村では、大半の建物が全半壊し、市街地は焼き尽くされた。
昭和南海地震の全国の死者は…