世論に見る平成の内閣78
朝日新聞は1946年から世論調査を実施しています。過去の調査を繰り、歴代内閣を振り返るシリーズを随時配信します。
◇
日経平均株価が高値を維持していますが、かつて野菜の白カブを持ち上げ、「株価も上がれ」と叫んだ首相がいました。1998年7月に首相となった小渕恵三氏です。
当時、不況が深刻化し、金融危機に直面する中、小渕氏は蔵相に元首相の宮沢喜一氏、経済企画庁長官に作家の堺屋太一氏を起用。「経済再生内閣」を掲げましたが、就任時に1万6千円台だった日経平均株価は、10月初めには1万3千円を割り込みました。
国会は参院で与党・自民党が過半数割れする「ねじれ国会」でしたが、小渕氏は10月中旬、野党・民主党の案を丸のみして金融再生法を、後に連立を組む自由党や公明勢力の協力を得て金融機能早期健全化法を、相次いで成立させました。その後、11月中旬には当時過去最大規模となった緊急経済対策を打ち出しました。
小渕氏が「カブ上がれ」と祈ったのは、その間の11月7日。栃木県高根沢町の農家などを視察した際でした。願いが通じたのかどうか、この日の前日の株価は1万4千円台でしたが、下旬には1万5千円台を記録。金融危機が回避されたこともあって、株価は徐々に右肩上がりに転じ、99年3月には1万6千円台に回復。2000年2月には2万円を超えました。
小渕氏は「カブ上がれ」のほかに「ボキャ貧」などいくつかの名言・迷言を残していますが、99年2月に東京都多摩市の多摩ニュータウンを視察した時、市長から「ニュータウンは住みやすいと考える住民が9割を超えている」と聞かされると、「私の支持率もそれぐらいになれば幸いだ」と漏らしました。
小渕内閣の発足直後の支持率は、朝日新聞社の世論調査(電話)では32%で、不支持率47%でした。内閣支持・不支持の質問は、池田勇人内閣発足直後の1960年8月に始まり、現在も続いています。この池田政権を含み、これまで28の政権が誕生しましたが、発足後最初の支持率が不支持率を下回ったのは、福田赳夫内閣、2カ月余しか続かなかった宇野宗佑内閣、自社さ連立の村山富市内閣、そして小渕内閣のみです。小渕氏は首相に選ばれる直前、米ニューヨーク・タイムズ紙に「冷めたピザ」と評されたことに象徴されるように、国民の期待は低いものでした。
当時は、長年続いた面接によ…