谷川俊太郎さん宅の庭に立つ息子の賢作さん。飛んでくる小鳥を俊太郎さんは双眼鏡で眺めたりしていたという=東京都内

 日本の現代詩を代表する存在だった谷川俊太郎さんが13日に92歳で亡くなって2週間。最期の日々を見守った長男で音楽家の賢作さんに今の思いを聞いた。

 「偉大な父を失い悲嘆にくれる……」という心境ではない、と賢作さんは口にした。「父に悲嘆という言葉は似合わない。(宮沢賢治の言葉を引いて)『かがやく宇宙の微塵(みじん)』になったのではないか、そんな気がしている。みなさんにもそう思ってほしい」と続ける。

 昨年9月ごろから車いすを使うようになった俊太郎さんをヘルパーらと支えた。今年に入って3度ほど体調を崩したが、その都度、俊太郎さんは回復してみせた。しかし次第に詩作が難しくなり、秘書が愛用のパソコンを開いて促しても、書きたい気持ちと体が連動しないもどかしさを抱えていたようだという。本紙の書き下ろし連載を手放した後は、10月まで詩人の覚和歌子さんと交互に書き継いでいた対詩が最後の創作になった。「体の痛みを訴えたり、弱音を吐いたりということはあまりなかった。死に興味を持ち、最期まで実験精神を失わなかった」

 夜の屈伸運動などのルーチン…

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